2020年04月17日

店頭からティッシュが消えた2.28事件から学ぶこと

2月28日(金)。職場のデスクに置いていたボックスティッシュがなくなったので、昼休みにドラッグストアに一箱買いに行きました。「あれ?・・・どこだ?ティッシュは。」しばらく店内を探しても一向に見つからない。店員さんに置き場所を尋ねたところ「あーまだ入荷していないんです。」との返答。そのビミョーな表情に違和感を覚えつつも(入荷してないって何?ドラッグストアなのにティッシュが在庫切れってどう言うこと?)と心の中でぶつくさ言いながら隣のスーパーに行きました。そこでも見事にすっからかん!トイレットペーパーの棚まで空っぽ。辛うじて一箱300円くらいする高級ティッシュがぽつんと二箱あるのみでした。とりあえずそれを一箱買った後で先ほどのドラッグストアの店頭を見てみると、空っぽのティッシュのワゴンの前でうろたえるおばちゃん達。これは何かやばいことが起きている予感。職場に戻って興奮気味にそのことを同僚に話すと、「そうなんです、なんか買えなくなるって情報がネットで拡散しているみたいで。」というではないか。

コラム2号 棚写真

私の場合、買ったのを忘れてまた買ってしまうというドジが幸いして自宅にはたくさんティッシュの在庫がありましたが、近しい人には早目に知らせてあげようと思い、「ティッシュとかトイレットペーパーが売り切れまくりなんですけど。」とLINEしました。ほどなく相手から、「見て、ダイエーティッシュない(笑)」とやけくそ気味の写真が送られて来ました。おそらくこのようなやり取りが日本中で交わされていたことでしょう。

嘘から出た実(まこと)とはこのことか

事の発端は「マスクの原料と同じ」などとして、ティッシュペーパーが品薄になるとの情報がSNSに投稿されたことですが、その情報の真偽も分からないまま念のため買いおきしておこうと思った人が多数いたことで急速に商品が消え始め、その様子がSNSを通じて視覚的に伝搬されることで、「え!やば!早く買いに行かなくちゃ。」と皆が感じ、あっという間に日本中の店頭からトイレットペーパーとティッシュが消える事態になってしまったのだろうと想像します。まさに「嘘から出た実」です。

そのような状況下で「冷静に行動してください」と呼び掛けても効果があるとは思えません。
何故なら現に物がなくなって入荷未定になっているのですから。
「ネットの情報を不用意に拡散してはいけません」とリテラシーを問うのもなんか違います。
何故なら多くの人がネットを通じて共有したのはデマ情報そのものではなく、「店頭に商品がない」という事実と「不安な感情」であり、大事な人が困らないように早く教えてあげようとする「思いやりの連鎖」に他ならないからです。

振り返れば、2011年の東日本大震災の発生当日には「千葉県市原市の石油コンビナートで火災があり、有毒物質を含む黒い雨が降るらしい。雨に濡れると髪の毛が抜けるから気をつけて。」というデマがチェーンメールとして広がりました。私のところにもそのメールが身内から回ってきました。「誰からの情報?」と聞いてみたら「ママ友からまわって来た。」とのことでした。やれやれと思いましたが、これも「思いやりの連鎖」であり、教える人に悪意はありません。まして震災直後で電話も通じず、正確な情報を得るのも困難な中で、「情報の一次ソースを確認したの?」などとは言えず、自分のところで止めるのが精いっぱいでした。

デマ情報と流言

新潟青陵大学大学院の碓井真史教授(社会心理学)が東日本大震災の少し後に、「災害時の流言(デマ)」というタイトルで、流言の心理や、広がる原因・対策を分かりやすく解説していました。それによると、流言とは口コミを通して自然に広がっていく不確かな噂で、広げている人に悪意はない。しかしデマは誰かが意図的に本当ではないとわかっていて広げていくもの、と区別されています。

◇流言とデマの違い
コラム2号 図1

また、流言が発生し、広がる条件として、①命や財産に関わる重要なこと、②よく分からない事柄、③不安の3つを挙げており、今後、ソーシャルメディアが普及するにつれ、今までの口コミとは比較にならない早さで流言が広がっていき、パニックを引き起こす恐れがあると予言していました。
そしてその予言通りのことが近年度々起きているということなのだと思います。

情報の真偽を確かめようとする行為の弊害と限界

熊本地震のときには、「ライオンが逃げた」というデマが投稿されました。地震で皆が不安がっている最中でこの情報はインパクトがあり、SNSであっと言う間に拡散されました。でもこのときは、情報の真偽を確かめようと多くの人が動物園に電話したことで、動物園の業務に著しい支障を来たす結果となりました。「情報が事実かどうか自分自身で確認しよう」という情報リテラシー教育が裏目に出た事案です。

また、今回の新型コロナウイルスにまつわる情報の中には、身内の話しや知人から聞いた話しなど、裏付けの取りようがないものや、あたかも公式情報であるかのように装うフェイクニュースまで存在しており、情報の真偽を確かめることがそう簡単ではないことが分かります。

◇新型コロナウイルス騒動でも飛び交った様々なデマ情報

  • トイレットペーパーの次に品薄になるのは「水銀」との投稿(Twitter)
  • 政府が4月からコロナウイルスに関する報道自粛を要請し、これまでのように死者数は何名かも報道されなくなるらしいとの投稿(Twitter)
  • 自分の親が周囲に新型コロナを撒き散らかして感染源になっているので許せないとの投稿(掲示板)
  • 横浜港に停泊中のクルーズ船で業務に就いていてコロナに感染した厚生労働省職員が、その後に安倍首相と接触していたとのデマニュース(掲示板)

炎上のメカニズムも「感情」の連鎖が原因か

デマ情報が拡散されやすいもう一つのパターンに、「反社会的行為への集団バッシング」があります。いわゆる炎上です。例えば2019年の常磐自動車道あおり運転殴打事件では、無関係な女性が加害者の同乗者だという誤った情報が拡散し、重大な人権侵害へと発展しました。2017年に東名高速道路で起きたあおり運転死亡事故では無関係な会社が「容疑者の勤務先」としてネット上で拡散され、中傷や嫌がらせの電話が1日50件から100件くらい殺到するといった状況に追い込まれました。

いずれも連日のようにテレビや新聞で加害者の悪質性が報道され、多くの国民がその報道内容をネタに知人同士で怒りや憎しみの感情を共有している日々が続く中、未だマスメディアでは伝えられていない新たな情報がネット上に投稿されると、燃料投下のごとくその情報が拡散される傾向があります。

今SNSではこうした腹立たしい出来事、また怖い話、感動的な出来事、面白動画など実に様々な種類の情報が共有されていますが、はたしてどれくらいの人がその情報の真偽を重視しているでしょうか。ここまで瞬間的に拡散することを考えると、情報の真偽はさておき、それを知って感じた自分の「感情」をいち早く誰かに伝えようとしているだけなのかも知れません。

誤情報の拡散を止める方法

人は災害や非常事態では、危険を避けるための情報や、役に立つ情報を欲しがります(情報欲求)。そして自分が知った新しい情報を誰かに伝えたくなります(伝達欲求)。こうした心理作用によって、災害や非常事態下で流言が広まりやすくなるといわれています。これを食い止めるには、誤情報をいち早く把握して削除し、正しい公式情報を届けることが重要です。

3月初旬には、新型コロナウイルスにまつわるデマの拡散を防ぐため、フェイスブックやツイッターなどソーシャルメディア各社が世界保健機関(WHO)などとの協力強化に乗り出しています。誤った感染情報や治療法、陰謀論が拡散する「インフォデミック」の阻止が狙いとのことで、この効果に期待したいところです。

そしてこの手法は、炎上事件から派生する誤情報の拡散防止にも応用できると考えます。あらぬ疑いをかけられてしまった被害者は、慌てて自分のSNSのアカウントを削除して個人情報が漏れないようにしがちですが、炎上している時点でSNSの過去の投稿はすべて誰かに根こそぎ保存されているのであまり意味があるとは思えません。むしろ、「図星だからアカウント消して逃げようとしている」との印象を与え、さらに追い込まれるおそれがあります。

このような場合は、自身のサイトやマスメディアを通じて人違いであることを主張し、故意に虚偽の情報を広めている人に対する法的措置も検討していることを発信していくことが、沈静化に繋がるのではと考えます。

情報リテラシー教育はやはり必要

情報リテラシーとは情報を自己の目的に適合するように使用できる能力のこと。「情報活用能力」とも表現します。情報リテラシー教育を適切に実施することで次のような効果が期待できます。

コラム2号 図2

つまり、情報を鵜呑みにしなくなるため、鵜呑みにした情報を拡散したり、その情報を根拠に安易に人を批判したりするような言動を取らなくなる、という考え方です。
でもデマ情報の拡散は一向になくなりません。それはひとえにソーシャルメディアが「感情」を共有するためのものになりつつあるからで、感情を動かした情報があるけれど、それが正しいかどうかはまた別の話しということなのかも知れません。

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